2013年に第一子、2016年に第二子を当院で出産した宮崎さんは、実はご本人も青木産婦人科生まれ。しかも、自分が産まれたのと同じ部屋でお子さんを出産しています。出産当日のことは今でも鮮明に覚えているという宮崎さんに、当時の印象など、さまざまなお話をうかがいました。
「みんなが私のことをわかってくれている」という安心感。
青木産婦人科を選んだ理由は?
とにかく前々から「いい先生だよ。産むならケアが細やかな個人病院がいいよ」と母から繰り返し聞かされていたんです。もう洗脳に近いくらい(笑)。だから、他で産むことは考えられませんでした。
というのも実は私自身、青木産婦人科生まれなんです。基彰先生が、まだ大きな病院に勤めていたときに私の姉を取り上げてくれて、先生がこの病院に移ったことを知って母が追いかけた形です。
他にも、夫が青木産婦人科の目の前の松沢小学校を卒業していたり、薬局をやっている長野の親戚のところに挨拶に行って妊娠の話をしたら、「下高井戸の青木さんね、知ってる知ってる」となんて言われたり。信じられないほど不思議な縁がありすぎて、「ああ、ここで産むしかないな」と。
ここで2人のお子さんを出産していますが、その印象は?
基彰先生って診察のとき、すごくやさしいんです。逆に看護師さんは言うことはズバッと言うタイプで、アメとムチみたい(笑)。大きな病院に通っている友人は「先生から、体重について怖いくらいにきつく指導される」とこぼしていて、青木さんはそのへんが本当にいいバランスで。
それからスタッフも少人数なので、情報が全員に共有されている。みんなが私のことをわかってくれているから話しやすいんです。逆子で悩んでいるときに体操を教えてくれたり、お灸の先生を紹介してくれたり、いつも親身になってアドバイスをしてくれました。
他にもいろいろありますが、中でもうれしかったのが、初めての診察のとき、29年前に母が私を出産したときのカルテをサッと取り出してくれたこと。先生も覚えくれているなんて、個人病院ならではですよね。出産のときは、自分が生まれたのと同じ部屋にしてもらったんですが、興奮して写真を撮りまくってしまいました(笑)。
2週間検診、カウンセラー、不安な気持ちも細やかにサポート。
出産は無事に?
上の子を産んだときは長くて、28時間以上もかかりました。夫も一度自宅に帰ってしまって、ひとりで過ごすのが心細くてくじけそうになりましたが、師長さんが30分おきに様子を見にきてくださって安心しましたね。
下の子の出産のときは、長女も立ち会ってくれて。よっぽど印象的だったのか、当時まだ2歳8ヵ月だったのに、そのときのことは今でも覚えているそうなんです。もちろん立ち会い時にはビデオ撮影もOK、大きな病院では、それもなかなか難しかったりしますよね。
また、母が私を産んだのは3月のことだったんですが、なんとか出産を終えたあと、前日まで寒かったのが嘘のように部屋の窓から入る日差しがあたたかくて。後光のように差し込んだ光と古い部屋の雰囲気が相まって、とても幻想的だったと言っていました。
他によかったポイントはありますか?
出産後2週間で健診があることかな。普通は退院して1ヵ月後というところが多いので、とくに初めてのお産だと健診までの期間が長くて不安なんです。私の場合、入院中になかなか母乳が出なくて、落ち込んでしまって。
退院後も不安で仕方なかったのですが、2週間後の健診でとりあえず赤ちゃんの体重が増えていたので一安心。看護師さんにいろんな話を聞いてもらって、自信を取り戻せました。
あとは、入院中にはカウンセラーの方が付いてくれるのもありがたかった。その方は、お味噌づくりや野菜の収穫といった地域のママたちの交流会も主催していて、何度か参加したこともあります。入院中に一緒だった人にも会えて、「大きくなりましたね」なんて話をして。産んだあとも、そういうつながりがあるのはいいですよね
思い出はそのまま、古くなった建物は新しく。
今回新しく青木産婦人科はリニューアルしますが、以前の施設はどうでしたか。
やっぱり古くて、壁も薄いから分娩室で出産している方の声が丸聞こえだったんです(笑)。「頑張れー!」と戦友のような気持ちで応援して、いい意味でも悪い意味でも筒抜けでしたが、建て替え後は変わるんでしょうね。ちなみに、入り口に飾られていた大きな屏風絵はどうなるんですか?
屏風絵は変わらず飾られます。
病院の中でも象徴的な存在ですもんね。上の子も下の子も、あの屏風の前で先生と一緒に記念写真を撮りました。
思い出の建物がなくなるという意味ではちょっぴり寂しい気持ちもありますが、テラスができるというのは、すごくいいなと思いました。入院中はなかなか外に出られないし、ママたちの交流の場にもなりそう。私がもし3人目を生むとしたら、新しく生まれ変わった青木産婦人科になりますね(笑)